さて直江津集合日当日となる8月30日の夜が明けた。
2年前の前回は上田を早めに出てお昼過ぎに直江津到着。時間があったので久比岐自転車道を道の駅マリンドリーム能生まで走り、カニを家族に送ったり海鮮丼を堪能したりした。今回もカニ買うぞと孫を喜ばせたが、なんとカニ横丁は毎年27日から夏休みに入ること知り衝撃を受ける。前回訪れたのは26日でたまたま夏休みの前日だった。なるほど。だから売り切るためにあんなにおまけしてくれたのか。
ということでカニを買うというミッションが消えた今、早めにフィニッシュする必要もないということで、のんびりと旧北国街道を走ることにした。2023年に走ったというこみゅさんのブログを見ると、のどかで楽しそうな道だったのだ。
ホテルの無料朝食をがっつりといただき、午前7時半過ぎに船見公園へ向けてスタートした。
上田駅前の道を北へ上って行くと上田宿。江戸時代からタイムスリップしたような、





この後に訪れた宿場町として栄えたという坂木宿も、なかなかいい雰囲気だった。武田信玄を2度も破ったことで知られる村上義清の本拠地でもあるそうだが、街中に掲げられていた「ビートル義清」ってなんやねん?



旧北国街道は国道18号に合流することを繰り返しながら左右に伸びている。国道を横切る時に信号があるわけでもなく、あっても押しボタンでやたら待ち時間が長い。辛抱強く待ってやっと渡れたと思ったら、何もなくあっという間に終わりとか。次回走る機会があれば、忠実にトレースする必要はなく、見どころ区間だけで十分だと思う。
矢代宿を過ぎれば千曲川。篠ノ井大橋で渡り、北陸新幹線の鉄橋近くにある矢代の渡し跡へ向かうも発見できず。 篠ノ井追分宿碑も同様。帰宅後にストビューで調べると、矢代の渡し跡の案内版は左車線から見ると背中を向けており、碑は右折する交差点の左側手前にあった。盲点ですな。



しばらく面白みのない道が続いたが、犀川手前の丹波島宿に入ると一気に雰囲気が変わった。住宅は新しいもののそれそれが立派なお屋敷で、各住宅に掲げられた巨大な表札には「丹波島宿 ○○○」と屋号が書かれており、宿場町の名残りを感じた。善光寺詣での最後の宿場で、この先にある渡し跡の碑には「まっすぐに かすみたもうや 善光寺 小林一茶」と刻まれている。犀川の向こうに見えたのだろうか。
ここには確か高札場跡があったはずと思っていたのだが、これも発見できず。ログを見ると、1本手前を曲がってしまっていた(^_^;

犀川を丹波島で渡り、長野駅から善光寺へ。そして県道60号から旧北国街道へと進む。車の通行量は少なくて快適だ。


左手に小さな池(田子池)が見えた先から道は上り始めた。県道60号とのアンダーパスをくぐり、一度県道60号に合流した後、少し先で分かれて右手へと伸びていく。地図上で目線を左に平行移動するとちょうど坂中峠があった。ピークは県道60号と合流したところで、セブンイレブン信州牟礼店のあるところ。距離は3.7キロで平均勾配は5.7%、最高勾配は12%。途中に平坦なところもあり、坂中峠よりは短いし楽な気がした。

いったん下り、飯綱の四ツ屋一里塚を過ぎ、北しなの線のガードをくぐると「北国街道牟禮宿 十王坂」と刻まれた碑にぶつかる。左手を見ると結構きつそうな坂が口を開けて待っている。野尻湖へ向けてもうひと踏ん張りか。



坂の途中にあったのが「金附け場跡」。江戸時代に佐渡島で採掘された金銀を江戸まで輸送する途中に設けられた中継施設で、野尻湖畔の御金蔵で一夜を明かした金銀荷物は午前中にここで新しい馬の背に付け替え、昼までに善光寺宿へ継ぎ送るのが恒例だったそうだ。

この後、旧北国街道は国道18号をアンダーパスでくぐっていくのだが、向こう側が階段のようだったので国道を横切って進むと、また壁のような激坂がおいでおいでしている。上り口付近の案内版には「小玉坂は約3キロ続く山道の難所で、石洗い坂、観音坂、赤坂、金坂と呼ばれる急坂があり、路面の整備は小玉住民の負担になっていた。過重な負担に耐えかねて軽減の嘆願書が元治元年(1846年)に出された」とあった。しかし、この時は写真に収めただけで読むこともせず、ここが地獄への入口であることを知らないまま、坂を上っていくことになる。

いきなり20%近い急勾配が現れ、道も舗装はされているものの荒れてきたので早々に押し歩く羽目となった。そして現れた分岐。そこにあった案内板によるとここは古道と新道の分岐だそうで、右は江戸時代以来の北国街道の「土の道」、左は明治9年(1876年)に新設された舗装された迂回路で遠回りだが傾斜が緩やかだそうだ。


究極の選択は、やっぱ「古道」だよねぇ。土の道とあるけどコンクリートみたいだし、行けるんじゃねと右手へ進む。しかし、道は大量の枯葉に覆われ始め、ロードバイクでの前進は無理と判断。折り返して左の「新道」を行くことにした。


それにしても虫が次から次へとまとわりついてきてたまらん。何とかしてくれ(T_T)
しばらくはコンクリート舗装だった道だが、やがて途切れて砂利道となる。なんでここで舗装をやめるかなぁ。

何とか自転車には乗れていたが、グラベルロードじゃないし、25Cなんでねぇ。ここでパンクしたら虫の集中攻撃を浴びながらチューブ交換しなくちゃならない。ということで漕ぐことは断念し、虫を手で払いながら押し歩く。
やがて道はダブルトラックとなり、グラベルの世界へと突入。この先どうなるんだろう。地図上では道はつながっているが、不安がよぎる。とんでもないところへ来ちゃったなぁ。

途中に古道との合流地点があった。古道は人ひとり分しかないような山道。行かなくて良かった。

合流した先に小玉一里塚があるはずだが、発見できず。もう二度と行かないのにねぇ。残念。
しかし、その先の少し開けたところに何やら案内版がある。見ると「明治天皇御野立(おのだて)所跡」とある。明治11年(1878年)9月10日に北陸御巡幸中の明治天皇一行が休憩した所で「玉堂」が建てられたという。随行していたのは岩倉具視ら。なんと、明治天皇に北国街道の難所を上らせたのか。

分岐点から一般道に出るまでは2.7キロ。そのうち押し歩きしたのは2キロぐらいだったろうか。途中から下ったけど、コケそうで怖かったので乗れなかった。ここは一度走れば十分。次回は国道に迂回しよっと。
「小古間」ってなんて読むんだろう。「ここま」かな? いや「こふるま」だった。眺めのいい所で、天保5年(1834年)ごろに書かれた「信濃奇勝録」に「飯綱、戸隠、黒姫、妙高の四山が一望できる」と紹介されているそうだ。この日は雲が多くてダメだったけどね。

小林一茶の旧宅の手前で国道18号へ出る。その先の「一茶記念館入口」交差点は、2年前の9月に開催されたブルベ「上越妙高200」で戸隠から下って出てきた懐かしい所だ。

野尻湖でナウマンゾウにご挨拶した後は関川の関所へと下り、ここで県境越え。しかし、トンネルが工事中だったので絵にならないねぇ。それにここにある古民家の蕎麦屋さんで昼食のつもりだったけど、小玉坂で時間を食ってしまったので食べてるヒマも観光してるヒマもない。いと悲し。


でもね。関川の上空を見上げれば信越大橋。そして県境の道標がそびえ立っている。何となく、感動する風景に出会えたからよしとしよう。

ここからは国道18号に数回、それも少しだけ出るだけでほとんど旧北国街道を走って新井から妙高まで行くことができた。道中には「北国街道」ののぼりがたはためき、史跡案内などもあってストップしまくりだったが、飽きることのないライドだった。下り基調で、おまけに車も少ないしねぇ。
その中で一番驚いたのが「新潟県の名水 大田切清水」。「参勤交代の人々の、のどをうるおした湧き水」と手書きの案内があった。ほんまかいな。ちょうどボトルの水が切れかかっていたけど、飲めるかどうか不安だったのでやめたが、あとで調べると「地元の人には愛されている」とあるから大丈夫だったかな。








さて旧北国街道の旅もそろそろ終わり。上田から長野までは昔を思わせるような町並み、のどかな風景に癒され、長野から先はアドベンチャーな道を期せずして楽しむ羽目になった(^_^; まあ、それなりに面白いライドだったかな。
高田付近からは関川沿いをのんびり走って船見公園を目指し、午後4時5分にフィニッシュ。走行距離は119キロ、獲得標高は957メートル。走行時間は8時間22分でグロス平均時速は14.2キロ。ブルベだったらアウト(T_T)

人魚ちゃんとの記念写真を撮った後、ホテルへチェックイン。自転車をパッキングしてシャワーを浴び、ビアを軽く引っかけて再び船見公園へ。



午後6時ごろから集合写真を撮影、そして恒例の円陣になっての自己紹介の途中、誰かが夕日に気が付き声をかけた。
3度目にして初めて日本海に沈む夕日を目にすることができた。いやぁ、頑張って来た甲斐があったねぇ。めでたしめでたしのハッピーエンドだ♪



3度目だけど集合写真に収まるのは2度目。前回は道の駅の帰りにゲリラ豪雨に遭い、小一時間ぐらい久比岐自転車道のトンネルで雨宿り。やんできたので走り出したらパンク。船見公園に戻ってきたのは午後7時過ぎで誰もいなかったのよ。せっかく一番乗りで到着してたのにねぇ。

来年はNHKが取材に来ないかな。「チャリダー」さん、いかがですか。
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